関東の武将「江戸重道」・・・その2
佐竹氏と同盟を強め、府中の大橡氏と争い、領内に神生氏の乱が起こり、一族の内紛で勢力を失った。
天正十八年(一五九〇)、秀吉の小田原攻めに参陣しなかった重通は、秀吉から常陸一国を安堵された佐竹義宣に水戸城の明け渡しを求められた。
十二月、義宣はこれを拒否した重通を攻め、水戸城へ入った。
重通は妻の実家結城氏を頼った。
結城晴朝は秀吉の命で、羽柴秀康に結城家の跡目を譲り、養女(重通の娘)をその室に定めた。
重通は同地で没し、乗国寺に葬られた。
法名は心巌唱安。
子宣通は越前に移った秀康に仕え、姓を水戸に改めた。