北海道・東北「葛西晴信」・・・その5
天正十八年、豊臣秀吉の小田原の陣には、晴信は参陣を果たすことができず、ついに所領没収の憂き目にあいました。
参陣の配慮を失ったのは、領内の争乱鎮定に日時を費やし機を失したためといわれるが、大局観を欠き情況判断の甘さに根本原因があったのでしょう。
葛西氏「葛西真記録」などでは、豊臣仕置軍に対して華々しく抗戦し、晴信は戦火の中で自刃したと伝えられます。
しかし「大崎実記」にみえる―将軍の御勢に向かい一戦すべきようなく、同八月おちうせにける―とあるのが正しく真相を伝えたものであろうといわれています。
晴信は加賀藩に流浪し、慶長二年四月十九日彼の地で没したといいます。