北海道・東北「葛西晴信」・・・その3
「仙台系図」「盛岡系図」と二つに分かれ、相容れぬ形で系譜が伝承される所以は、この時代の根強い家臣団の対立を象徴的に物語っています。
登米竜源寺「小野寺系図」によると天文五年、十五代晴胤の代に石巻城から寺池城(登米郡登米町)に本城が移されました。
これは伊達氏の武力を背景に、石巻、登米二系が大同合併されたことを意味するものでしょう。
登米町には北の寺池城の他に南の山に保呂羽城あとが確認されました。
保呂羽城は瞼山に拠る要害なのに対し、寺池城は平凡な小丘にすぎません。
ここは行政庁。
したがって寺池城とは両城セットとしての総称てあろう十七代を相続した晴信は、十五代晴胤の異腹の三男と伝わります。