北海道・東北「葛西晴信」・・・その2
室町時代前・中期における葛西史には不明の点が多く、系譜の錯雑が見られ、大別すると「仙台葛西系図」と「盛岡葛西系図」の二系に分類できます。
応仁の乱の余波で領内にも有力家臣団の抗争が相次ぎ、明応年間に薄衣美濃入道(盤井郡薄衣城主)が伊達成宗に宛てた「薄衣状」によると、領内ば大崎探題派と葛西当主派に分かれ、国を二分して争いました。
のち親探題派が軍事大国の伊達氏を頼み、宗清(伊達成宗の子)が葛西氏十三代を継ぎ石巻城に入ったことで、"親伊達""反伊達"の二大勢力へと変わり、領内抗争はしばし続きました。
『桃生山内伝』に見える永正年間における桃生郡主山内首藤氏と石巻系葛西氏との決戦も、前図式の上で考察できます。